明日は晴れろよな

社会に羽ばたいたオタクの日記

3月11日 寝てました、、、

久しぶりの何もない日ということで、朝まで絵を描いてて、その後17時くらいまで爆睡してました。

 

 

それはさておき、今日は6年前に東日本大震災が起きた日ですね。

もう6年か〜って思うとともに、テレビとか見てると6年経っても震災の爪痕が残ってることに対して驚きを隠せません。

今日は当時のことを書こうと思います。

 

震災の当時、俺は中学3年生でした。神奈川で生まれ育った自分は大地震とかテレビの中の話だと思ってたし、来るぞ来るぞと言われてた大地震も自分には無関係なことだと思ってましたね。

 

 

あの日は学校のスキー教室の帰り道でした。バスの中にいたので揺れには全く気が付きませんでした。隣にいたやつが「大きい地震があったらしいよ」ってケータイを見ながら言ってたの覚えています。

その時は「また地震か」程度にしか思ってなくて、その後道路が一気に混んで来て、先生が慌てだしたあたりから大変なことが起きたのだと実感し始めました。

とは言え、実害は大してなく、一番の問題は道路がクソ混んでること。それにより何時に着くか分からないってことでした。

突然のことでしたし、夜ご飯の時間が近かったこともあって、だんだんお腹すいて来ちゃって、でも何かを買いに行ける状況じゃなかったんですよね。

で、トイレ休憩かなんかのためにどこかのガソリンスタンドに一回止まった時に、隠し持ってたお菓子をみんなに配りました。

そのお菓子は実は俺がバスの中で食べるために買ったやつで、単に食いしん坊のデブが口が寂しくならないように買ってたやつなんですが、まぁそんなものでもあってよかったですw

 

その後どっかでオニギリを先生が買って来たので、あんまり意味なかったですけど、個人的にはやって良かったなと思えることでした。

 

 

結局、学校に着いたのは10時くらいかな。

電車も止まってたので、親が迎えにこれる人以外は学校で泊まることに。はじめて寝た学校は、何か埃っぽくて冷たくて、次の日は喉が痛くて起きましたw

次の日はさすがに電車もそこそこ動いていたので、自力で帰りました。

 

途中で長野でも地震が起こったことを聞いて驚きました。何せスキー教室では長野に行っていたのですから。後1日帰るの遅かったら地震に巻き込まれていたんだなぁと思うとゾクっとしました。

 

 

 

そう言えば東日本大震災って最初は東北大震災とか、もっと範囲が狭かったんですよね。それがだんだんと広がって来て、何か少しずつ被害地域が拡大してるような感じがして怖かったのを覚えてます。

 

 

正直な話、あの瞬間、俺は異常事態を楽しんでいました。地震なんてよくあることですし、それがちょっと規模が大きくなった程度だろうと。でも、ニュースで報道されてる東北の様子を見てたら、これがとんでもないことなんだなって思い知らされて、楽しんでた自分が恥ずかしくなりました。

 

地震大国日本と言われるくらい、頻繁に地震が起こる国。だからこそ地震に慣れてしまって、震度5弱程度なら大した地震じゃないと考えてしまう。それはある意味では肝が座ってるのかもしれませんけど、咄嗟の判断を鈍らせることにつながるかもしれません。

地震大国だからこそ、心に余裕を持ちながら、しかし対策はしっかりと。各人で心がけることが重要だと思います。

 

 

 

東日本大震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。