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社会に羽ばたいたオタクの日記

テレビアニメ「宝石の国」-変化を望むことは…-

どうも、ずーっと放置していたけど、意外とアクセスしてもらえてて嬉しいほたるです。今回はアニメ「宝石の国」の感想part1となります。

よかったら最後まで見ていってくださいね~。

 

※アニメ「宝石の国」のネタバレが多分に含まれます。まだ見てないそこの君!ぜひとも見てから来てくれたまえ!

 

 

 

 

宝石の国」とは?

今さら感あるので、簡単に説明すると、原作は市川春子著のマンガ「宝石の国」。2017年の秋アニメ枠として放映され、一躍大ブームを呼びました。

書店でバイトしていた友人によると、在庫切れを起こして長い間、入荷できな状態が続いたとか。

あらすじは…

宝石たちの中で最年少のフォスフォフィライトは、硬度三半とひときわ脆く、靭性も弱くて戦闘に向かない。また、他の仕事の適性もない。そのくせ口だけは一丁前という、まさに正真正銘の落ちこぼれだった。そんなフォスに、三百歳を目前にしてやっと「博物誌編纂」という初めての仕事が与えられる。(TVアニメ『宝石の国』第一話あらすじより)

TVアニメ『宝石の国』公式サイト

 

フルCGの作品であること、宝石たちを主人公にした今までにない発想が火付けの役割を果たしたのかもしれません。

 

 

なんで今さら?

僕も割とアニメを見るほうなので、周りの友人たちから当時はものすごくオススメされました。僕自身もその勢いに負けて、とりあえず1話だけ見たのですが、正直な感想を言えば1話は「世界観の説明」に主軸が置かれていて、あまり興味を惹かなかったのです。(当時の自分を殴りたい)

会社に入って、再び同期から「面白いよ!」とすすめられて、折角だし~と見ることにしたわけです。

ちなみに、当時友人から「どうせ見ないなら片鱗でもいいから凄さを知って」と、ある程度のネタバレは食らっております。(ネタバレを食らってても楽しめるタイプ)

 

 

 

1話~4話の感想

今回はpart1ということで、1話~4話の感想を書いていきたいと思います。

TSUTAYAで全巻借りてきたのですが、折角ならゆっくり見たいと思ったので。

(最近、アニメ12話ってぶっちゃけすぐ見れちゃいうけど、一気に見ると大して何も残らない気がして、一気見をやめようと考えているほたるです)

 

 

さて、1話~4話での話のキモは個人的に「変化を望むことの意味」だったように感じます。もしかしたら作品全体を通してのキモなのかもしれませんが、そこはご愛敬。

 

主人公、フォスフォフィライトは月人と戦うにはあまりにも脆く、かといって他の仕事をやっても悉く半人前。けれど口だけは達者なので、周りからは「ま~たフォスが何か言ってる」とあしらわれてしまう。

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そして、主人公の前にあらわれたシンシャは、息をするように体内から毒液を放出してしまうために、他の宝石たちと関わることをさけて、宝石たちの眠る夜に見回りをする仕事を負っている。

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主人公にやさしく接するダイヤモンドは、パートナーのボルツに対する劣等感を抱えて、自分などいなくともボルツがすべて解決してくれると、考えてしまっている。

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(TVアニメ『宝石の国』公式HPより)

 

おそらくこの3人が1話~4話でスポットライトが当たっていた宝石たちだと思います。

彼らに共通するのは、2話でも述べられていたように「いてもいなくても変わらない・誰からも必要とされていない」と思っているということ。

この2話から少しづつ、フォスは現状を打開していこうと奮起していきます。

 

 

変化したことで

そんなフォスのきっかけはダイヤの「全然違うくらい、変わってみたら?」という言葉。結果として、フォスは月人の落としたカタツムリに飲み込まれてしまいます。

何とかシンシャとダイヤのおかげで、元通りに戻れたものの、カタツムリと話せるという謎の能力を手に入れてしまったのでした。

 

さてある意味で、ダイヤの言葉通り、宝石からカタツムリに「全然違うくらい」変わってしまったフォスは……ってカタツムリにはなってなかった。

とはいえ、一つの変化をなしとげたフォスは、なしとげってしまったフォスは、カタツムリの王に導かれるまま、行くなと言われた海に行ってしまいます。そこで月人に狙われて…フォスはカタツムリの王に嵌められてしまったのでした!というところで4話が終わるんですが。

 

結果を見ると、

タツムリと話せるようになった(変化した)

       ↓

タツムリに嵌められて絶対絶命のピンチ!

という構図なわけです。 

 

タツムリと話せるようになった、という変化はフォスにとって良くないものを招いてしまいました。

つまり「変化」とは悪いこと、ということなのでしょうか?

 

 

「変化」とは

「変化」が悪いことではないというのは、多くの人間が直観的に理解していることでしょう。そもそも、変化そのものに善悪はないはずです。

フォスの件は、「変化」したことで、新しい環境に身を置き、慣れない新環境で失敗をしたというありがちなことに過ぎません。

 

しかし、「変化」は善でも悪でもありませんが、注意しなければいけないことだとは思うのです。

「変化」するということは、「今まで自身になかったものを取り込む」ということです。そして取り込んでしまったものは、すぐさま身体と溶け合い、決してもとに戻ることはありません。

「失ってから、その価値に気づく」というのは定番のセリフですが、「変化」というのは常にその状態を繰り返していることになります。

例えば、大人になり会社に勤めるようになったあなたが、ふと子供のころを思い出して、あの楽しかったころに戻りたいと願っても、その願いは叶わないはずです。

それは時間的な問題だけではなく、社会的にも、心身的にも、どれだけ願っても戻ることはできません。

しかし「変化」とは、意識的に行わずとも、無意識化で常に起こっている現象です。それゆえ「変化」を止めることは、人間にはできません。常に新陳代謝を繰り返し、成長とともに老化していく人間には。

 

だからこそ、意図的に「変化を望む」とき。僕は今一度考えてみるべきではないかと思うのです。「変化」を止めろというのではありません。現状を把握した上での「変化」でなければ、ただ過去を省みるだけになってしまいます。

 

決して死ぬことのない宝石たちだからこそ、自ら望んでしか変化しない宝石たちだからこそ、「変化」することの意味をまっすぐに伝えられるのではないか、そう感じました。