明日は晴れろよな

社会に羽ばたいたオタクの日記

3月24日 現在進行形

 何かで見た

「自分の身の丈以上のことを考えるようになったら、それはうつ病の兆候」

という言葉。

個人的にこれはかなり印象に残っている言葉である。

 

はじめに言っておきたいけど、この言葉に対しては「その通りだな」って感想と「それは違うやろ」って感想がわく。

もちろんこの言葉がどんな文脈で使われた言葉であるか分からない以上、この言葉だけにあれこれ言うのは野暮ってもんだけど、そこは見逃してほしい。

 

 

 

さてさて、突然この言葉を思い出したのは、やっぱり就活がきっかけだ。

色んなところに書いてるけど、就活は人生の方向性を決める一大イベントだと思っている。人生は今のところ一度きり、80年前後の長さしかない。

その間をいかに生きて、いかに死ぬか。その大まかな方向性を決定するのが就活だ。

だからこそ僕は人生で一体どんなことがしたいかをまず考える。

 

では人生を通してしたいことってなんだろうか?

自分が年を取って、そろそろ定年か~なんて言ってるときのことなんて正直想像がつくわけがない。

でも、こうなってたらいいな~なんて希望は浮かんでくるだろう。

たとえば、アニメの世界みたいな電脳モンスターを使役できる世界になってたら~だとか、火星移住計画がはじまってる世界だとか。

じゃあ、そんな未来を作るのに、自分はどう貢献できるかなんてことを考えていくのが仕事選びなのだと思っている。

 

 

ところで、この考え方。つまり人生全体を俯瞰的に見ようとする考え方も、見方によっては「身の丈以上の考え」ではないだろうか。

僕は他の人がどうやって就活の方向性を決めているかはしらないけど、何の気なしにこういうことを考えてしまう人間だ。

ともすれば80年の人生を飛び越えて、宇宙の始まりから終わりまで、思考を遊泳させるような人間だ。

僕が良くやってしまうのは、自分からスーッとタマシイ的なものが飛び出して遥か高みから世界全体を見渡そうとする見方なのだが、これはどう考えても「身の丈以上」だろう。

 

もし先ほどの言葉が正しいのであれば、僕はうつ病の兆候があるということになる。

しかし僕はここで反論したい。

人生や世界を俯瞰的に見ることは人間として駄目なことなのだろうか?

いやもちろん「誰も人間的駄目なんて言ってないで」と言われるだろうが、一般的にそういうことを日常的に考えている人間は「変な奴」、「厨二」、「空想癖」だったりとあまりいい印象は持たれない。

だが、僕はそういう考えはきっと生物にとって大切な考えだと思う。

 

 

またスケールの大きい話になってしまうが、僕達人間は確かに地球上において最も繫栄し、とても強大な力を得た種族であろう。どれだけ言葉を取り繕っても、人間と他の動物が真に平等な立場にあると考える人はほとんどいないはずだ。

しかし、我々がどう考えようと人間も一つの生物種であることに変わりはない。宇宙創成という大きな流れの中に生まれた、多種多様な存在のうちの一つだ。

その意味で我々は必ず死に絶える存在であり、同時にそれまで成長し続ける存在である。

つまり、人間は今が完成形ではなく、現在進行形で成長しているのだ。

 

そして「身の丈以上の考え」は種としての成長を促す効果があるのではないかと思っている。

付け加えておくが、何も「俺すげー!」ってことが言いたいのではなく、みんなそういう考えを持ってみたら!ってことが言いたい。

 

 

 

もちろん、「身の丈以上の考え」など不要っていう人の意見も分かる。我々が生きている80年の人生の中で、身の丈以上のことを考えたとしても、それは恐らく何の役にも立たないと思うからだ。そんなことを考えている暇があるなら、今の人生を謳歌しろよ!というのが普通だろう。

 

だけど、我々は止まっているわけではなく、ゆっくりと進み続けている。進むためには下ばかりを見ていても意味がない。前を向いて。後ろを振り返り。現状を確認して。我々は前へ進んでいく。

だからこそ、みんなも「身の丈以上の考え」をしてほしいと思う。なんだっていい、SFチックな考えだろうが、それが前へ進む原動力になる。

 

忙しい日々の中で、少しでもそんなことを考える時間があるといいな。そう思いました。